大学で古典を受講すると。

こんにちは、先日のゼミでは「古典」を学びました。大阪工業大学の横山恵理先生にお越しいただき講義を受けました。理系なのに古典?と思いましたが、理系の視点から古典を考えることは逆に面白いと思いました。まず、自分が一言に古典と聞いて思い浮かぶことや印象としてはあったのは、高校でやったやつや、あのひたすら単語や文法覚えたやつくらいでした。ですが、一通り講義を受け終わった後、僕の古典に対する見方が変わりましたし、米津玄師さんの歌詞に文学作品が使われていたことで古典に興味を持ちました。

 

では、今回の講義で学んだことを書いていこうと思います。

 

古典は本当に必要か?

まず、横山先生は

  1. なぜ、古典を勉強するのでしょうか?
  2. 皆さんにとっての古典とは?

という問いをなされました。

自分の意見は、大学受験に必要だったから。昔の人の生活様式が書いてある書物くらいの印象でした。

ですが、答え?として挙げられていたのは、近代を相対化できる装置、今の常識を疑うためのものでした。

 自分がこれを聞いたときに森田先生も哲学でお世話になった須永先生も話されていたように「なぜ?や疑問を持つことが大事」という共通点があり、物事を考える上ではこの当たり前だと思っている日常を異化してみることの大切さに気付いた瞬間でした。

 古典の解釈の仕方

次に実際の古典の文章に触れました。徒然草の「硯にむかいて」の解釈をするとしたら何をする?というところからです。古典の解釈をプロの人がするときは、以下の事をするそうです。

  • 同じ作者の他の作品を読んでみること。(同じ表現はないのかどうかを探るため)
  • 他の時代に同じ表現はないのかを考える。

これらを使って徒然草がどこからか引用しているものはないか?とみていったところその時代では人気のあった源氏物語から引用されていたことを見つけました。

米津玄師のLemon

 現代のこのような例として米津玄師さんのLemonという歌詞を先生は扱われました。自分はここがとても興味深かったです。

 lemonという曲は、高村光太郎の「レモン哀歌」から来ているように現代でも引用(パクる)というものは生き残っています。この2つの曲の共通点は

などがあり、レモン哀歌から引用されたことが分かります。米津さんがこのレモン哀歌を引用したことから米津さんは文学が好きだと分かりました。分かりやすい例として、「果実を切り分ける」という表現を使っています。これは1つの果実を2つに切ることにより自分の好きな人に渡すという愛情表現の意味があります。自分はこの隠喩的な表現と文学作品を使って曲を作っている人がいることに面白さを覚えました。他にもそのような歌手がいるのか探してみたいと思いました。実際に今、検索してみたのですが、検索の仕方が悪いのかうまく出てこなかったです...。

 最後に徒然草源氏物語に話を戻しいていこうともいます。講義の後半で先生が「徒然草」は「源氏物語」を引用して、「書く」ことの意味に深みを持たせていますと話されました。これは、「ただ書く」のではなく、自分の内に秘めている感情を表すもの。だと話されました。

 思ったこと。

途中で触れたりしていましたが、あらためてここでもう一度言わせてもらいます。今回の古典を通して興味をもったことがあります。

  • 文学作品の表現
  • 現代の歌手で文学作品を引用している人はいないか?いないにしても自分の好きな歌手の曲を細部まで調べていこうと思います。
  • なぜ?の気持ちを持って生活していく。

今回の講義はこんな感じです。

 

全く古典とも講義とも関係ないのですが、呟かせてください。最近コロナで家にいることが増えて考えることが多くなりました。なにを考えていたかというと「地球に住んでいる人類はもし、仕事や学校といったやらなければならないことが全て排除された世界に生きていたら何をしてたんだろう?」ということです。その世界に生きていたら私たちは時間的にも金銭的にも余裕があり本当にしたいことが全人類できて幸せに過ごすことができているのではないかと考えました。当たり前ですが、今までそういう事が起きたことはないはずなので何とも言えませんがどうなんでしょうねー。

考えすぎると頭が痛くなって来るので今回はこのくらいにしておきます(笑)では!

哲学対話:問いを立てること

こんにちは!今回のゼミでは、哲学に詳しい須長先生から哲学についてお話をお聞きしました。自分の今までの哲学知識は乏しいのですが、興味はあったのでとても刺激的でした。それでは、文章に起こしていきたいと思います。

 

 

 哲学の営み

 まず、「知識は毒」だと先生は話されていました。聞いた時はどういうこと?って、思いました。これは知識や価値観は洋服とは違い自分の意志では脱いだり、着たりすることができない鎧のことで、一旦知識や価値観を身に着けると、知らなかった自分に戻ることは難しいということ。

 それは、以下のように捉えることもできます。ネットなどで自分の知らなかったことを検索するとき、なじみのある知識は容易に理解し記憶するが、そうでない知識に関しては無意識のうちに排除すると。

先生が知識は鎧だという話の時に出された例として、牛の絵と木とダルメシアンが映っている絵を提示してくださいました。(実物があればよいのですが、今はありません。申し訳ない)これらの絵は一見すると、なんだこれ?って感じが第一印象であった絵なのですが、「これは牛の絵だ」と言われるともうそれにしか見えなくなるのです。

こういった知識の殻から抜け出す解決策として、既存の知識を揺さぶることが大切だと教わりました。

「問を立てること」

次に問いを立てることは、答えをただ出すことよりも大切だと教わりました。

問いを立てるスキルを向上させるには、

  • 簡単に分かったと飲み込まない、
  • 馴染みのあるものを異化することなどをしていく。

例題として、

これからの社会では、正解のない問いを考える力が必要になってくるだろう。

という問いに対して、子供に説明するとなると、どう説明すればよいか?という考え方に変換すると、なんの違和感もなかった問いが、いっきに難しくなりました。これがいわゆる問いを立てるスキルの向上につながる簡単に分かったと飲み込まないということがわかりました。

哲学対話のルール

哲学対話は、Yes Noで決められる議論でも、居酒屋でのただ楽しいコミュニケーションをとる会話でもない対話だとおそわりました。他にも、哲学対話のルールとして、

  • 「答えを出さずに問い続けること」が大事なのではない
  • 自分の言葉でゆっくり話す。
  • 相手の言葉を理解する。
  • 「もう一度お願いします」と言う。
  • 相手の言葉によって自分の知識や価値観が揺さぶられることを恐れない。
  • 結論を急かさない。

 などがあります。

この哲学対話のルールの中で先生が協調されていて印象に残ったものとして、哲学対話は問いを立てることばかりで答えを出さないでよいというわけではない。という言葉が心の中のあります。次のテーマの実践では、そのことを特に意識したのですが、中々難しかったですね。では次にいきます。

哲学対話を実践してみる 

 授業の後半では、哲学対話を実践してみました。今回の問いです。

  1. なぜわれわれは「あなたは差別している」と言われたくないのか
  2. 差別をしたくない場合、どうすればいいか?あるいはそもそも、差別はしてしまっても仕方ないものなのか(だとしたら、なぜ世の中でじはかくも「差別はいけない」と言われているのか)

班での意見

1に対して、私たちの班では、周りのイメージを気にするから、小学生くらいの時から差別は良くない、悪いことだと教え込まれてきたから。

 2に対しては、差別をしてしまっては仕方ないというような意見に傾いていたのかなと思います。その根拠としてホームレスを例に出します。ほとんどの日本人はホームレスが道端や駅のホームに寝ていたらその近くをできるだけ通りたいとは思いません。これは自己防衛反応のためです。だからこういった状況になると差別感情を抱いてしまうことはだれにでもあることなので仕方ないということです。これは今回の話の一部ですが、差別は仕方ないという意見よりでした。

私の意見

問いに入る前に、「差別はダメだ。いけないことだとだ。」と言われて来ていますが、差別の根端は無意識的に発生しているのではないかと考えました。なぜなら、私もこのゼミでこの問題を取り扱うまでは差別とは疎遠だと思っていましたし、差別なんて当たり前にしていないでしょ。とでさえも思っていましたので。だからこそ差別を無くすというより、これは差別なんだなと一旦距離をおいて差別というものを再認識して、あっ、これはいけないことだったんだなと自覚し、対処していくことが重要だと思いました。

要するに、差別という概念を作った人が差別を一番しているのではないのか。

自分でもこの文章がまとまっている気がしないですが、ニュアンスだけでも汲み取って頂けたら幸いです。

ようやく、本題に入ります。上のことを書いたので矛盾しているかもしれませんが、

この問いに対する私の意見は、

  1. 自分のアイデンティティのように、差別はいけないものだと組み込まれて育ってきたのでその方針に反するため。
  2. 差別をしたくない場合、差別ということをしているという自覚を持たなければいいと思います。これは、差別を許しているわけではなく、差別という概念自体を知らなければ差別ということを意識せずにすむというわけです。

 

気付き

問いを立てることは、森田先生の言っていた「なぜ?」と日常に疑問を持つことに似ているので哲学と相乗効果がありそうです。

最後に、今回差別について私の意見を自分なりにまとめてみたつもりですが、迷路の中にいるように自分はこうは言っているが、それに対しても批判の意見を持ってしまう。といった感じでわけわからなくなりました。今度哲学を考えるときには自分の意見を整理できるように頑張ります。以上です。

 

哲学:差別について考えてみた!

A 悪意はひとを鍛え、かつひとを滅ぼす

内容

私が思う、この著者の言いたかったことは、「攻撃性乃ち悪意を排除することは一概には良いとは言えない」ということだと思います。

もし、全ての悪意(攻撃衝動)を取り除くと

  1. 努力とか競争心自体も生まれない。
  2. 世界は発展せず、ましてや人類は生存出来なかった。

ということが起きると言える。

感想

私はこの文章を読んでいて、最初と最後らへんの内容はなんとなくは理解できたんですが、中盤の「外形的に他人に危害を加える行為のうち、動機によって正しい行為と誤った行為を区別することは有効ではない」という部分が理解できませんでした。自分の解釈が正しいのか分かりませんが、見た目のことで相手に誹謗中傷を浴びせる行為は動機によらずしてダメでしょ?と思いました。

「な」「は」→「外形的に他人に危害を加える行為のうち、動機によって正しい行為と誤った行為を区別することは有効ではない」

「す」→すごく同意まではできないが、「悪意のうちにこそ人生の豊さがある。」

 

B 快・不快を統制する社会の恐ろしさ

内容

快・不快の感情を社会が統制してしまうと感受性が薄れる。この文章では、「不快という感情がどうのよな場面のときは抑えるべきか?」という問いに対して、著者は日本人は、公認された被差別者に対しては抑えるべきだと答えている。そうしないと社会的に葬り去られるからだ。

感想

この著者が言及していたように、「不快に思っても不快に思っていないように振る舞う」というところに実際に日常生活でもしているなと共感しました。

私が思うに、不快という感情を感じるのは仕方ないことだと思いました。なぜなら人間だからです。Aのローレンツ的な考えですが、不快という感情があってこそそれを取り除くためのモノやサービスが開発されていると考えることができると思うからです。

 

C 帰属意識アイデンティティ

内容

人間は、自分の所属している集団によって自分のアイデンティティは構成されていると考え、その集団を愛したり、保護したりする。このことが差別意識を生んでいる。差別意識が起きている例を挙げると、

地元について言うと、地元を愛すこと当たり前だと思い、そう思わない人のことを排除する。

家族について言うと、家族を愛していることが幸せだということが当たり前だと考え、そう思っていない人のことを強制的に不幸だと思う。

などといったことである。

感想

日常的に友達から言われて、これと似たようなことを体験したことがあります。その時、友達にとっては当たり前な事を私にも強制されたことがあり、なにか腑に落ちないところがありましたが、無意識にこの帰属意識が働いていたんだなと改めて意識させられました。

D 「よいこと」を目指す態度

内容

 小学生などから義務教育が始まり、先生などから無意識のうちに「よいこと」を教え込まれる。このよいことのせいで、ここでも差別が生まれる。

感想

無意識の内に日本社会では勤勉であることがよいことだと教え込まれているのは少しおかしいような気がしますが、勤勉であることは将来のことを考ての行動だからそこについては納得できました。

読み終えた後、勉強しろと言われるが勉強して良い成績をとってもその成績を誇りに思って周りにアピールすることは控えるようにしたほうがいいと、この著者は言っていたが、それはおかしいと思います。自分が努力して良い成績を取ったならアピール位して良いと思います。これは哲学的には反した意見かもしれませんが。

 

思ったこと

哲学には関係ないんですが、この本の著者がわざとなのか、ひらがなを使っているところに疑問を覚えました。、ex. 人→ひと 後→あと

今回このような形で哲学に真面目に向き合ったことは今までには無かったのですが、哲学は文章理解することも難しいし、無際限にとらえ方があると思い普段使っていない脳の一部が使われた気がしました。

ゼミでは、先生が哲学で学んだことを日常生活に当てはめて考えることが哲学対話の目的であると話されてましたので、これからは「なぜ?」と同じように普段から意識して過ごしてみようと思います。今回は以上です。

 

退屈と暇

 こんにちは、久しぶりにブログを書いています。3年生になったのでこれからは、今まで以上に何か発見があれば文字としてブログに残していきたいと思います。

近況報告 

近況報告をすると、今回この外出自粛中に自分は簿記の勉強と英語をメインに取り組んでいましたが試験日が延長になったり、中止になったりしてしまったりで最近はやる気がそがれています。それと、最近のオンラインゼミでみんなのプレゼンを聞いてるとレベルが高いことにすごく驚いました。特に、印象的だったのがクリエイティブ部門でした。僕も何かしら有形無形にこだわらずとも何か継続していけるものを探していきたいと思います。

 退屈と暇

次に、ゼミで課題として出された「暇とは何か?」について考えていこうと思います。

その前に、今回のゼミでは「退屈と暇」という視点から4つのカテゴリーに分けて自分がどこに属するのかを考えました。

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自分は2番でした。なぜ2番なのかというと、学校もオンラインになったせいで大学までの移動時間の分が空いたし、バイトも休みが増えたということから暇であるとなり、自分のしたいことができる時間がふえたので退屈ではないとなったからです。

本題に入ります。「暇とは何か?」ですが、僕の思う暇とは時間的に余裕があり、精神的に気楽でいられる状態のことを言うと思います。例を出すと、予定がたくさんあってもやる気が起きない時やそこまで急用なことでなければ暇だと思うことはできるし、実際僕がその立場になると「暇」だと思うことがあるからです。

 

今回僕が不思議に思ったグループは3番でした。なぜかというと、大学も休みになったし、バイトもそこまでできていないだろうになんで暇ではないんだろうと思ったからです。僕たち2番のグループで話し合った時は3番の人たちは時間の使い方が下手なのではないか?という話まででました(笑)(冗談です)

 

今回はこんな感じです! はやく対面の講義を受けられることを望んでいます。(終)

ミズノプロジェクトの感想

こんにちは!

まず初めに、2年生後期のゼミの振り返りをすると、ミズノのプレゼンをどの分野でしていくか→インタビューの仕方→青空ゼミ→上位下位関係分析→ミズノプレゼンといった流れで学んでいきました。

普段ただ授業を聞いて体験できることではなかったので非常に良い経験をさせていただけました。

ミズノさんとコラボする目的は愛着を持つ商品作りでした。

そして、僕たちの班であるアパレルでは愛着を持つきっかけづくりという視点で取り組んでいきました。きっかけを作るために僕たちが考えた商品がジャージです。このジャージは福大生自身がベースとなるジャージにデザインを加えていき、愛着がわく商品を自分でデコレートしていこうというものです。加えて愛着を持つことではなくきっかけを作るという点についてミズノさんから好評をいただけた時は嬉しかったです。

12/13日水曜日スポーツブランドで有名なミズノさんから3名の方がプレゼンの審査員として福岡大学に来られました。

プレゼンの構成としては太宰ゼミから商品開発という視点から2チーム、森田ゼミから3チーム、太宰ゼミからもう1チームという形で行いました。

プレゼンの中での感想

太宰ゼミに関しては2チームとも圧倒的に情報量が多いなと言ったところが率直な意見としてあります。例としては、身近な福大生にインタビューをすることです。僕の頭の中ではその発想がなかったです。まさに灯台下暗しの状態でした。

ミズノさんの審査員方に関しては、

  1. Twitter,instaなどのSNSでの宣伝がそこまで普及してない。
  2. スポーツが低迷してるからスポーツブランドだけでなく他の分野にも触れる。
  3. 商品から生まれる会話、そのきっかけになるペン
  4. オリジナル商品オーダーメイドなど

ペルソナの汎用性についてミズノさんが触れられました。不動産で業績を上げていた会社はペルソナを活用していたということです。

懇親会

プレゼン後の19:00から天神にて飲み会が開かれました。席の配置としてはテーブルにくじ引きを行いランダムに着席すると言った形式で行われました。

僕の席では、ミズノさんの中では若手である方と対談させていただく機会を得ました。

ミズノに入るまでに就活をかなりの数こなしてきたと言っていて驚いたのが5次面接まであってほとんど4次まで行ったそうなのですがそこで落とされるという話をされた時です。え?!5次まであんの!?って思いました

次に社会に出たら数字を使って話すと説得力が増すと聞きました。ex.私は〜の勉強をしてきました。というより私は朝起きてから8〜10時に勉強をして、10時〜12時は〜の勉強をしてと言った具合です。ただ僕が最近読んだ本の中に営業で騙してくる人は数字を使うと聞いたのでその場では言えませんでしたがなにかもどかしい気持ちを抱きましたね笑

あと、社会に出たときに必要なスキルについて話されていたのをまとめると

1.PCスキル(特にExcel)

2.接待ゴルフ

3.お酒の付き合い

だと話されていました。

これを聞いて今のうちにできることはないかと考えたときにPCスキルは今のうちに向上させることができると聞いたのでexcelの勉強を始めます!

はい、とにかく楽しかったです!以上です!

上位下位関係分析

こんにちは、最近ブログを更新することがスムーズにいってないので中だるみしないようにせねばと思っています。

 

上位下位分析というものを使って、事象→行為の目的→欲求と言った順番にインタビューした事象をもとにそこから欲求というものを追求していきました。

 

自分はインタビュイ(質問される人)だったので少し恥ずかしかったです。なぜなら、自分という人間性が可視化されて言っている気持ちを感じていたからです。

 

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↑のように、自分がどんな人かと言うことが丸裸になりました(笑)

これを行なっていくことで、インタビューしてくれた友達の質問がすばらしく客観的に自分を見ることはまだまだできていなかったんだなと気づかせてくれました。

自分はゲームについて話をしたのですが、本当はあまりこのことについては言いたくありませんでした。自分がオタクと言われることに対してマイナスイメージがあったからです。このことに対して、友達は僕が世間体を気にするんだと言うことを教えてくれました。

なるほど!たしかに!と思いましたね、なんとなくは分かっていたのですが強がりかプライドが高いのでそれは嫌々ながら受け入れてはいませんでした。

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↑ペルソナになります。これで性格がバレました(笑)

このペルソナは、なるべく簡潔に作ることとも学びました。ですので、この簡潔に作るためにはインタビューの段階から細かく的を得た質問をしていくことが大事だとわかりました。

 

では、以上になります

青空ゼミ

今回のゼミでは、トヨタさんと福岡大学商学部の建物である2号館のエントランスの前でゼミを行いました。

ゼミの内容は、車(今回はトヨタプリウス)と大きな移動できる大きな電気を材料に、どうやったらもっと良い使い方ができるのかについて話し合いました。

自分たちの班であるアパレルでは、トヨタの方を交えてアイデアの交換をしていきました。最初は思い立ったものをポンポンと出していき、なんとなーく付箋に文字を並べていたという形になっていたのですが、終盤に差し掛かるとぼんやりとですがまとまっていました。

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このアイデアを出していく中で自分はトヨタの方と話していく中で書いた内容で面白いと思ったのが

1.移動できる電気を使うことで、それまで地面に埋めて、それが使えないとなったら掘り返して回収といったようなことをしていた従来のやり方を変えられることができて、コストの削減にもつながるなと思いました。

2.これはゼミの班の友達が言ってたことなのですが、夜、部活の練習をしていて練習場が暗すぎるから光が必要な時に電気が有効活用できるのではないかということです。電気が車により移動できるらしいからわざわざ、照らすためだけの光を建設しなくてもいいし、スペースの有効活用もできると話されていました。

3.残念ながらプリウス1台分では、建物の電気を負担できないそうです。ただ複数台使えばできないこともないそうです。すごいです!

 

次に、電動スクーターに特別にのせていただきました。f:id:Takeblog:20191025075827j:image貴重な体験ができてトヨタの方には感謝してもしきれません。このスクーターは時速20km/hまでしか出さないようにしてるらしいのですが、大学内での試乗時は時速15km/hでした。それでも校内では十分速く感じました。

このスクーターについて質問しておけばよかったなーと思ったのが実際に公道で使えるのか?免許入るのか?充電はいつしたらいい?というものです。次から質問する時は第3者が読んで細部まで理解できるような質問の仕方をしていきたいと思います。

以上になります!